私たちの遺伝子中の窒素も、歯の中のカルシウムも、血液中の鉄も、
かつて収縮した恒星の内部で作られた。
私たちの体は、すべて星の物質でできている。
私たちは、きわめて深い意味において“星の子”なのである。
カール・セーガン(天文学者)
私たちの遺伝子中の窒素も、歯の中のカルシウムも、血液中の鉄も、
かつて収縮した恒星の内部で作られた。
私たちの体は、すべて星の物質でできている。
私たちは、きわめて深い意味において“星の子”なのである。
カール・セーガン(天文学者)
以前、小学校に入った年の子供がいきなり「もうこれから何もいいことが起こらないような気がする」と泣き出したのを聞いて、ぎょっとしたことがある。
クリスマスとお正月が過ぎ、三学期が始まったばかりの頃だった。楽しいことが終わって寂しくなったのか、学校で何かいやなことがあったのかと思ったのだが、その子はつぎの日高熱を出した。インフルエンザを発症したのだ。
大人であれば、風邪の引き初めの「何かだるいような感じ」「なんとなく普通ではない感じ」と表現したのだろうが、その「感じ」を六歳の子は、「これから何もいいことが起こらない感じ」と表現した。つまり彼にとっての〈世界〉は、未だ身体と心が別物ではない、風邪に罹った身体の不調は、未来への不安として知覚されたのだ。
わたしたちは「言葉」を介して世界とふれあっている。わたしたちが目で見ているのは、「ものそのもの」ではなく「言葉」であり、「音そのもの」ではなく「言葉」であり、感覚といわれるものですら「暖かさ」「静けさ」「穏やかさ」という言葉を感じているのだ。だが、もしかしたら「痛み」「不快」「不調」「不安」という言葉での分節を知る以前の赤ちゃんにとっては、何もかもが同じことなのかもしれない。
わたしは以前から眠くなった赤ん坊や幼児が泣くのが不思議でならなかった。眠たければ寝ればいいのに、何をいったいぐずぐず言っているのだ、と、眠くてぐずぐず言う弟を見て腹を立てたものだった。だが、彼にとっては、「痛い」のも「眠い」のも、あるいは母がそばにいなくて「不安」なのも、全部同じものとして感じられているのかもしれない。眠くてぐずぐず言うのを、母が抱き取って「よしよし、眠いんだね、ねんねんよ」ということで、「眠い」という分節を知り、転んで泣き叫ぶのを「よしよし、痛かったんだね、お薬をつけようね」と言いきかせて「痛い」という分節を知る。「言葉」を使うこととふるまうことが一緒に示されることで、赤ん坊は言葉の世界に入っていく。そうして言葉の使い方をある程度は知っている六歳の子は、その不安=不調を言葉でそう表現したのだ。
言葉の世界の住人であるわたしたちは、もはや言葉によって分節されなかった世界がどんなものか、想像すらできない。「わたしの身体」「わたしの手」「わたしの足の指」などというように、そんな「身体」を所有している「わたし」が身体とは別にどこかに存在しているかのような気持ちでいる。
けれど、疲れているときのものの見方は疲れていないときとはちがうし、アグレッシブな音楽を聴いていると、自然と気持ちは高揚する。気持ちに対しては嘘はつけても、身体をだますことはできない。風邪を引いたりしたときは、おそらく身体が真っ先に気づくのだ。けれど、言葉で身体と意識を隔ててしまっていると、言葉を使わない身体の声は聞こえない。身体の声を聞く回路というのは、おそらく大人になってしまえば、意識的に作り上げていかなければならないものなのだろう。
実は日本の社会はもうほとんど第二段階までの欲求はかなり多くの人が満たされていて、第三段階とか第四段階の欲求を持っている人が多そうです。
じゃあ最初の質問に戻ります。
そもそも人間の全ての欲求はお金で満たせるものなのか?
つまり、ここから先の欲求ってお金で買えるものなのか?
例えば、友だちを作ったりすることや、誰かからの尊敬を、金で買うことができるのか?
ちょっと無理ですよね。
つまりどういうことかというと、これから先の欲求を満たそうと思ってもお金ではそれを解決できない、ということ。
だから、欲求を満たす最高に便利な手段であったはずの「お金」の価値は、これから相対的には下がっていくのではないか?と思います。
そんなことない!金あったらもっと幸せになれる!という声も当然分かります。でも例えば日本人の上位5%と言われる年収1,000万円の人でも生活レベルって実は変わりません。
年収1000万円の奴の生活水準って具体的に言ってどれくらいなの
昔は違いました。お金があれば、冷蔵庫が!エアコンが!車が!買えるんだぁ!と、確実に満たすべき欲求がありました。
でも今の私たちの持っている欲求って、そういう具体的なモノやサービスが占める割合がずいぶん減ってきたのではないでしょうか?
じゃあ、お金の代わりに何が来るんだよ?いつくるんだよ?
ぶっちゃけまだ私には分かりません・・・
ただもしマズローの欲求の定義通りにいくのであれば、当然それは「人との繋がり」や、「人から評価される」ことが、今後社会の重要なポイントになっていくでしょう。
岡田斗司夫さんは貨幣経済の次に来る社会を「評価経済社会」と呼んでいますが、それが具体的に社会システムの中でどのような形を取っていくものになるのか、正直私にはまだよく分かりません。
ただこれから確実に日本が直面するのは経済的な「貧困化」のプレッシャーです。この流れに個人レベルでどう対応していくか、誰もが真剣に考えるべき課題と言えるでしょう。しかしその上で、お金中心の価値観から脱却することが、生き方の選択肢の一つとしてもっと大きな流れになって欲しいと思います。
例えば小原憲太郎さんがやられているColishは、コンセプトシェアハウスという形で、ルームシェアで生活コストを下げつつ、一人暮らしよりも楽しく価値があるライフスタイルを実現しようとしています。
インターネットのインフラが世界で一番発達しているこの国であれば、色んなことが試せるはずなのです。それは新しい家族や共同体の形なのかも知れません。
ではどうすればよいのか?
俺は変わりたくない!今のままの生活を絶対に死守!という人で、逃げ切れる人は逃げきったほうが良いと思います。変わることって基本的に苦痛ですから。
でも逃げ切れない人は、変わらざるを得ない。でもどの方向に?価値観変えたくない人と変えられる人で分けて考えてみましよっと。
1) 価値観変えないぜ x 能力は自信なし = スキルを磨いて能力アップ!
2) 価値観変えないぜ x 能力に自信あり = グローバル企業で活躍 or 新興国で金稼ごう!
3) 価値観変えてみる x 能力は自信なし = 個人 or 誰かと共に生活コストを下げつつ、色んなやり方を試してみる!
4) 価値観変えてみる x 能力に自信あり = 新しい社会の仕組みを創ってみる!
自分のイメージ的には国内でのフリーエージェントは2)に含まれ、ノマドは4)の一つじゃないかなと感じます。
今は1)と2)の割合がほとんどですが、3)と4)の割合が増えてくると、悲壮感が和らいで、日本で生きていくことが面白くなるんじゃないかなぁ。
もっと多くの起業家やベンチャーが4)の領域で活躍するとステキかも。(お金儲かるかは未知数だけど・笑)
だって人類史上最先端にいるんですよ。波に抗うより、乗っかったほうがいいでしょ!?
もちろんそれはユートピアを意味するわけではありません。大きな変化が起きている時代だからぶっちゃけ大変は大変です。
でもこんな時代に生きているという事実から逃れることは出来ないわけで、個人として何が出来るのかを見極めて、過度に不安に浸らず日々に全力を尽くすことが、個人個人の生活を明るくすることに繋がるのだと信じています。
まとめると・・・
- グローバル化とデジタル化により、先進国は経済的に受難の時代。もちろん日本に生きる私たちの大半もそう。
- 技術革新と貨幣経済の発達で、お金で満たせる欲求はだいたい満たせてしまったのが今の現状ではないか。
- お金も当然必要だけど、お金以外の価値観を試してみると、これから楽しく生きられるかも。能力ある人はこのフィールドで新しい社会の仕組みを創ってみたら、カッコイイ。
わしはむかし韓国人は、殆ど何の疑いもなくキリスト教を受け容れる人が多かったのに、日本人はほぼ本能的生理的と呼びたくなるような反発をもつひとが多かった、という日本でのキリスト教布教の歴史に興味をもったことがある。
調べてみる、というほどもなく、事情はすぐに判明して、日本人には宗教心をもつ資質が乏しいからキリスト教が普及しなかったという西洋人側の報告はオオウソであって、実際はすでに高度な宗教心を日本人が形成していたのではいりこめなかったのであると思われる。
それは「絶対」を必要としないばかりか、神の名前さえも必要としない宗教であって、全体の名前すら与えられず、「日本語」として日本人の心を満たしている。
国家権力と結びついて全能の権力を帯びていた神道タリバンたる国家神道がいったん蹉跌をみるや、あっというまに雨散霧消したのも、西洋のサルマネで絶対一神教の体裁をとったからでしょう。
西洋的な視点から見えない日本人の宗教は、まるで異なる角度から見直さなければ可視化されないのではないだろうか。
そうして、その浮きだしのように「日本人の神」が見えて、姿をあらわす角度を発見するには日本語そのものに拘泥しなければだめそーだ、と考えます。
hm7:
イヌよイヌよxtc:
Sci-Fi-O-Rama
なぁ、スーパーファミコンの「マザー2」ってRPG知ってるか?
あれにな「ハッピーハッピー教」って宗教団体が出てくるんだ
すべてをブルーにすれば幸せになれる!
自分たちは正しい、信じない奴は地獄へ落ちろって言いいながら
「らんぼうなしんじゃ」が青いペンキを振り回して襲い掛かってくるんだ
幸福実現党のCMを見てるとな、ハッピーハッピー教の事を思い出してしまったよ
結局、主人公が教祖を倒すことで、みんな目が覚めるんだけど
マザー2ってエンディング中に世界を歩き回れるんだ
そこでの元信者のセリフが印象的だった
「必死になって幸せを探すなんて、幸せじゃなかったね。」
No.10321 らんぼうなしんじゃ - コピペ運動会 (via jealousdog) (via tokori) (via yukko) (via uessai-text) (via aguanis) (via gkojax) (via fukumatsu) (via saya) (via raitu) (via skashu) (via plasticdreams) (via konishiroku) (via lunaryue)
2009-08-29
(via quote-over100notes-jp) (via mcsgsym)
(via nakazyo)
(via misoka) (via nobu666) (via wingknights) (via kurety)